2025年6月24日深夜、ついに放送された『ジークアクス最終話』。
終わって最初に出た言葉は「ふざけんな」だった人も、「最高だった」と叫んだ人も。
シュウマチュ両想いキス、ララァとの決別、巨大ガンダム、めぐりあい宇宙オマージュ、怒涛の詰め込み展開…。まるで“アニメという体験型ライブイベント”だったこの最終回。
このブログでは、そんな最終話の感想・考察を、SNSで燃えたポイント、キャラの心情変化、そしてファーストガンダムから続く「ニュータイプの感情線」に絡めて、徹底的に掘り下げます。
この記事を読めば、あなたが感じた「モヤモヤ」「泣き笑い」「疑問」が、きっと“ひとつの答え”になるはず。
さあ、あのラストの続きを、言葉で体験しよう。


【ジークアクス 最終話 感想】「ふざけんな」も「最高だった」も…SNSが大荒れした理由
2025年6月24日深夜──ガンダムファン、アニメファン、そして“感情がジェットコースターなオタクたち”が一斉にSNSに集結した。
放送終了直後、X(旧Twitter)のトレンド欄は「ジークアクス最終話」「シュウマチュ」「ララァ」「巨大ガンダム」など関連ワードで埋め尽くされ、その光景はまさに“深夜アニメ実況文化”の極致。
最終回は、わずか25分という短い尺の中で「キス」「別れ」「和解」「巨大戦闘」「1stオマージュ」と、あらゆるイベントをぶち込み、視聴者の感情を振り回した。
「最高だった」と言い切る人もいれば、「ふざけんな、尺が足りねぇ!」と叫ぶ人もいた。
でもそのすべてが、この作品の“正解”だったのかもしれない。
【トレンド爆発】「ジークアクス最終話」がSNSを席巻!深夜勢がリアルタイムで叫んだワードたち
放送終了後のSNSで最も目立ったのは、次のような怒涛のトレンドワードだった。
- 「ジークアクス最終話」…当然の如くトップ入り。
- 「シュウマチュ」…まさかの両想いENDキスシーンで歓喜と動揺が巻き起こる。
- 「ララァ」…「ララァが好きだったんじゃないの?」というツッコミが全国で発生。
- 「巨大ガンダム」…「なぜデカくなった!?イデオンか?!」という声が爆発。
- 「めぐりあい宇宙」…ファーストオマージュに胸を打たれた世代が反応。
さらに注目すべきは、SNSで流れたリアルな視聴者の声だ。
「え、マチュとキスしたんだけど???」
「尺足りなすぎて草」
「ありがとうジークアクス…お前が俺の人生にくれたものは大きすぎる」
このトレンド現象こそ、「リアルタイムで体験したオタクたち」の“集団感情爆発”そのものだ。
【二極化する視聴者心理】「感動した」「怒った」「でも好き」…この矛盾すら正義だった最終話
最終話を語る上で欠かせないのが、SNSや掲示板で見られた“視聴者心理の真っ二つ現象”だ。
感動派の意見はこうだ。
- 「最後までキャラが生き残ってくれた、それだけで満点!」
- 「シュウマチュ両想いEND、俺たちの勝利!」
- 「尺は短くても、やりたいこと全部やった気持ちは伝わってきた」
一方で、怒りや困惑を隠さない声もあった。
- 「展開が急すぎる、感情が追いつかない!」
- 「そもそもマチュが好きになる流れが唐突すぎないか?」
- 「ララァララァ言ってたのに、なんで最後キスなんだよ!!」
でもここで大事なのは、「怒った」人ですら、ちゃんと最終話を語ってるという事実。
作品に対して感情を向けている時点で、もうそれは「勝ち」なんだ。
ジークアクスのマチュって
「1話から最終回までガンダムに乗り続けたにも関わらず誰一人も殺さずにエンディングを迎える事が出来た主人公」
なのでは?これって何気に凄くない? pic.twitter.com/nnv5kWNPTo
— エンペ (@empe0317) June 24, 2025
【“ライブ感”アニメの極北】この25分で、なぜこんなにも心が揺さぶられたのか?
ジークアクス最終話がここまでSNSを揺るがせた理由。
それは、作り手側があえて“ライブ感”に振り切った脚本・演出だったからだ。
キャラたちの感情が爆発するスピード感、詰め込みすぎるほどの展開、説明不足なのに押し寄せてくる「情報量の洪水」。
この「観客を置き去りにしてでも、最後まで突き抜けてやる」というスタイルは、
もはやエンタメというより“体験”に近い。
『ガンダム Gのレコンギスタ』で富野由悠季が挑んだ“視聴者を振り回す語り口”に、さらに加速をかけたもの…。
それが、『ジークアクス最終話』という「怪作」だった。
【シュウマチュ両想いキス】「信じてて良かった」派 VS 「急すぎない?」派
最終話最大の“感情爆弾”は間違いなくこのシーン──「シュウマチュ両想いキス」だった。
これまでの全話を通して、執拗にシュウジを追い続けたマチュ。そして、ララァへの未練に縛られていたシュウジ。
そんな二人が、ついに、ラスト直前で「言質」と「キス」という形で決着をつけた。
SNSでは、早速このシーンで感情が真っ二つに割れる。
【「信じてて良かった」派の声】「シュウマチュ馬券握ってた奴、全員勝者だ!」
まずは、歓喜に沸いた“勝利派”の声を拾おう。
- 「あれだけブレずに好き好きアタックしてきたマチュが、ついに報われた…!」
- 「この瞬間のために、ずっとシュウマチュ馬券握ってた!」
- 「シュウちゃんが『好き』って言っただけで、涙止まらん」
- 「ニャアンが振られて可哀想だけど、それも含めて青春の痛み…」
マチュの「好きで好きで仕方ない」という一途さは、どこか視聴者自身の“報われない過去の恋”と重なる部分もあった。
その気持ちが、あのキスシーンで一気に爆発した。
【「急すぎない?」派の違和感】「いや、ララァララァ言ってたのはどこ行った!?」
一方で、戸惑いとツッコミが止まらなかったのがこちらの意見。
- 「ついさっきまでララァのこと好き好き言ってなかった?」
- 「マチュが急に恋愛ヒロインポジにジャンプしてて草」
- 「会話すっ飛ばしてキスは流石に展開早すぎ!」
- 「なんかフリクリみたいな勢いで押し切ったなこれ…」
特に多かったのが「尺のせいで積み重ねが薄い」という指摘。
確かにシュウジの心情変化がきちんと描かれる前に、強引に“告白&キス”に持っていった感は否めない。
でもだからこそ、ネットでは「ライブ感」「瞬間最大風速」という言葉で、この強引さそのものを楽しむ声も多かった。
瞳にハイライトが戻り、マチュへの想いを真摯に伝えたシュウジ自身の本音───言えたじゃねぇか #ジークアクス #GQuuuuuuX pic.twitter.com/go4zbYegOd
— ナイジェッル (@fate_prototypeB) June 24, 2025
【「ララァとマチュ、好きの種類が違う」説】ニュータイプ的感情分離を考察
さらにディープ層では、「好きの意味が違う説」が語られ始めている。
シュウジにとってララァは、「恋愛感情」ではなく、「ニュータイプとしての畏敬」や「救えなかった後悔」だったのではないか。
一方でマチュは、「今、隣にいてくれる生身の少女」として、ようやく意識できるようになった存在。
これはまさに、『逆襲のシャア』のアムロが、ララァへの未練を乗り越えてチェーンに心を寄せていく心理構造にも似ている。
シュウジが最後にマチュを選んだことは、「過去への贖罪」から、「今を生きる決意」への一歩だったのかもしれない。
だからあのキスは、単なるラブコメ展開ではなく、シュウジ自身の「成長の証」とも言えるのだ。
【ララァ、シャア、そしてシュウジ】ニュータイプ思想と“別れ”の構造
『ジークアクス最終話』を語るうえで、絶対に外せないのが「ララァ」「シャア」「シュウジ」の三角関係──いや、正確には「感情の三層構造」だ。
この最終話で、シュウジは「ララァを好きだった自分」に別れを告げる。
そして「今ここにいるマチュ」と向き合う道を選んだ。
これを単なる“ラブコメ的心変わり”として消費するには、あまりにも重い。
【ララァへの執着の正体】それは「恋」ではなく「贖罪」と「観測されない存在」だった?
シュウジのララァへの感情は、作中で何度も描かれた。
だが最終話で描かれたのは、ララァに対する「恋愛感情の終わり」ではない。
むしろ、それは「ニュータイプとしての執着」、あるいは「贖罪感」だったのではないか?
ララァは、シュウジにとって「何度殺しても救えなかった存在」であり、「ニュータイプの可能性そのもの」を象徴する存在でもあった。
最終話でそのララァが“覚醒”し、自らの意思で去っていくことで、シュウジはようやく「過去」から解放される。
それは、「観測される自我を捨てたララァ」と、「今を生きるシュウジ」という、二人の決別でもあった。
【シャアの存在意義】「あそこで立っていた」のは、永遠に未練を抱え続ける男の象徴
ではなぜ、あのタイミングでシャアがそこに立っていたのか。
それは、ガンダムという作品が持つ「人が人を許せない痛み」と、「それでも生きようとする希望」の象徴だった。
ファーストから続く「シャアとララァ」の因縁。
そして「シュウジとマチュ」の新しい感情線。
その両者が交錯するラストは、まさに「ニュータイプ思想のアップデート版」と言える。
シャアはララァにとっても、シュウジにとっても「乗り越えられない過去」そのものだった。
でも、シュウジはついにそこから一歩踏み出す。
その象徴が、あの「マチュとのキス」であり、「シャアへの背中越しの別れ」だった。
【ニュータイプ的感情整理】「ララァへの好き」と「マチュへの好き」は、そもそも別ジャンル
ここで整理しよう。
- ララァへの「好き」=ニュータイプ的親愛・執着・贖罪・過去
- マチュへの「好き」=生身の感情・現在進行形・これからの未来
この二つは、決して比較対象ではない。
どちらが正しいとかではなく、「どちらも本物だった」。
ただシュウジは、最終話で「生きている人間の方を選んだ」。
それだけの話だ。
これが、『ジークアクス最終話』という作品がくれた、“令和のニュータイプ的な答え”なのかもしれない。
【巨大ガンダム、めぐりあい宇宙、フリクリ感…】演出過剰?演出神?演出暴走?
『ジークアクス最終話』は、ストーリーだけでなく演出面でもSNSを大荒れさせた。
その最たる例が──「巨大ガンダム」「めぐりあい宇宙再現」「フリクリ風キス解決」という、視聴者置き去り三連コンボだ。
【巨大ガンダム登場】「でかすぎるww」「イデオン?」「ビルドファイターズ??」ネット民の混乱
まずは「ガンダムが巨大化した」という、まさかの展開。
「え?なんで?」
「スケール感バグってない?」
「イデオンリスペクトなの?!」
SNSでは、『イデオン』『トップをねらえ!』『ビルドファイターズ』など、過去の巨大スケールバトルを連想する声が飛び交った。
特にガンダムファンにとっては、「ハイパービームサーベル回の作画崩壊」や、「ガンダムが巨大化するというメタギャグ」に対するオマージュ的演出と見る向きも多かった。
このあたり、スタッフ側があえて“わかる人だけニヤリとする”仕掛けを入れてきた形だろう。
【めぐりあい宇宙オマージュ】「やりたいこと全部ぶち込んだ」最終決戦演出
次に語りたいのが、「めぐりあい宇宙再現パート」。
あの伝説的なファーストガンダム劇場版の最終決戦を、
この短い尺で、そして令和版解釈で強引にねじ込んでくるあたり、
「お前らこれ好きだろ!?感」が強烈に漂っていた。
しかし、SNSでも以下のような意見が飛び交う。
- 「尺無いのにこれ詰め込む勇気すごすぎる」
- 「正直、感動より先に笑った」
- 「詰め込みエモ爆発で頭がついていかない…でも嫌いじゃない!」
まるで『スパロボ最終話演出』か、『同人ガンダムMAD』を公式が本気でやってきたような、そんな熱量だった。
【フリクリ的解決法?】「感情が飽和してキスでまとめたろ!」というライブ感暴走説
そして、視聴者が一番ツッコんだのがラストの「キス解決」。
この展開に、SNSでは「フリクリやんけ!」、「トップ2かと思った」「とにかく勢いだけで押し切ってて笑った」などの声が飛び交った。
恋愛描写の積み重ねが薄いまま、最終局面でいきなりキスという“感情ジェットコースター展開”は、まさに「エモで殴って理解を諦めさせる系アニメ」そのもの。
だが、その強引さが逆に心に刺さった人も多かったのが、この最終話の面白さでもある。
このあたりは、シリーズ構成・脚本陣の「勢いと感情優先」の美学が色濃く出た部分だろう。
【演出暴走?それとも計算通り?】「やりたいこと全部やった感」の正体
振り返ってみれば、「説明不足」「尺不足」「演出過剰」──すべての要素がある。
でも、それらをすべて「感情の勢いで正当化」し、
観客を最後まで引きずり回して笑わせ、泣かせ、怒らせ、
最終的に「語りたくなるアニメ」に仕上げた。
それが、『ジークアクス最終話』という、“ライブ感アニメの極北”だったのかもしれない。
【詰め込みすぎ、説明不足、でも最高だった】この作品が“怪作”として愛される理由
『ジークアクス最終話』を見終えた直後、多くの視聴者が抱いた感情は──「文句はある、でも好き」という、矛盾したものだった。
ストーリー構成は決して丁寧とは言えない。
説明不足、尺不足、急展開、キャラ心情の描写不足…。
挙げればキリがない。
それでも、最終話が「怪作」としてこれだけ愛された理由がある。
【「文句言いながら好きになる」感情線】オタクたちが抱きしめた“矛盾”
SNSでは、こんな言葉が多く飛び交った。
- 「ふざけんなって言いながら、来週また放送があるかのようにロスってる自分がいる」
- 「駄作か?傑作か?そんなのどうでもいい。楽しかったんだよ!」
- 「感情ぐちゃぐちゃだけど、間違いなく“体験”だった」
- 「文句言いながらも、気づいたらグッズ検索してる俺がいる」
この感情こそが、ある意味で「令和アニメの正解」なのかもしれない。
現代のオタクたちは、もはや作品の粗をゼロにすることを求めていない。
むしろ「荒削りでも、感情をぶん投げてくれる作品」にこそ、熱を持って反応する。
【ポメラニアンズ、ニャアン、キシリア…】脇役たちの“感情回収力”に救われた最終話
今回、地味に評価されていたのが「サブキャラたちの感情回収」だった。
- ポメラニアンズ:「いらねー」と言われつつも、最終話ではちゃんと「いて良かった」存在に昇華。
- ニャアン: シュウジへの想いが報われなかったけど、「友達ポジで再スタート」という優しい着地。
- キシリア: 「死んで当然」と言われつつも、ある意味で「ギレンと仲良く地獄行き」という納得の結末。
彼らのストーリーラインが、シュウマチュの暴走感情劇だけではない「群像劇の余韻」を作り出していた。
この「キャラ全員を大事にして終わった」という事実だけでも、最終話はオタクたちにとって“救い”だった。
【「感情で殴りつけてくるアニメ」】理屈じゃなく、体験で語るべき作品
冷静に考えれば、もっと上手い脚本も、もっと丁寧な演出もあったはず。
でも、この最終話で一番大きかったのは、「とにかく視聴者の感情を殴ってくる勢い」だった。
笑って、叫んで、泣いて、ツッコミ入れて、TLで盛り上がって…。
「理屈よりも体験」。
この作品は、「2025年6月24日深夜という、たった一度きりのリアルタイム体験」そのものが、最高のエンタメだったのだ。
だから、たとえどれだけ荒があっても、
俺たちはこの最終話を、「一生忘れない夜」として、心に刻むことになる。
ガンダムジークアクス最終話
最終話に色々やってしまった感ありましたね😅💦
24分間でよくまとめたなー😶
でもそこは「あぁー、さすが庵野監督だな」て感じもありました
私はみてて良かった作品だなて思いました😌😺
出演者の後日談やその後の続編ストーリーやってくれないかなー😌
#GQuuuuuX pic.twitter.com/naeBJQZsFQ— 🐱😽😺ひでき໒꒱٭. (@RNTyZmpmj7Yx4Is) June 24, 2025
【まとめ】「また会える」…それはガンダムがくれた、令和の“ニュータイプ的希望”
『ジークアクス最終話』は、決して完璧なアニメじゃない。
むしろ、欠点だらけだし、詰め込みすぎだし、説明不足だし、
冷静に見ればツッコミどころ満載の怪作だった。
でも──。
それでも多くの視聴者が、
放送が終わった瞬間、スマホを手に取ってSNSに感情を吐き出していた。
それでも誰もが、あのキスに叫び、
あのシャアの背中に感情を重ね、
あの巨大ガンダムに笑い、
あのララァの微笑みに、ふと涙ぐんでいた。
【「終わってほしくない」…その気持ちこそが、最高のエンディングの証】
「説明が足りない」「もっと見せてほしかった」「あと1クール欲しかった」
──それらの不満すら、実は「もっとこの作品を体験していたかった」という、
オタクたちの愛の裏返しなのだ。
最終話でマチュが言ったように、
「会いたくなったら、また会いに行けばいい」
きっとこの先、ガンダムシリーズという巨大な宇宙のどこかで、
またいつか、
あのキャラたちに会える日が来る。
【あなたは、どう受け取った?】
この記事を読んでくれたあなたに、最後の問いかけを。
あなたにとって、『ジークアクス最終話』は──
「ふざけんな」だったか?
「最高だった」だったか?
「両方」だったか?
どれでも、すべて正解。
その全部の感情を抱えたまま、
次のガンダムが来る日まで、
また一緒に、この“終わらないニュータイプの旅”を歩いていこう。
ありがとう、ジークアクス。
おはようございます
ガンダムジークアクス最終回
最高によかった‼️アニメの最終回がこんなに待ち遠しかったのはいつぶりか
アムロの声…
池田秀一さん、古谷徹さん、潘恵子さん、まさかの3人の共演
何度も見てしまう pic.twitter.com/IXKzp0ggmG— ともるーむ (@tomosroo) June 24, 2025
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最終話の余韻がまだ残ってるあなたに…。
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この記事のまとめ
- ジークアクス最終話はSNSで賛否大炎上
- シュウマチュ両想いキスに歓喜と困惑の声
- ララァへの未練とマチュへの想いの対比が描かれる
- 巨大ガンダム&めぐりあい宇宙オマージュが話題
- 尺不足・詰め込み展開に「でも好き」の声続出
- ニャアンやポメラニアンズなど脇役描写も好評
- 「ふざけんな」も「最高だった」も全部正解という評価
- 感情を殴りつける“ライブ感アニメの極北”として語り継がれる
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
『ジークアクス最終話』への想いは、きっと人それぞれ。
「ふざけんな!」も「最高だった!」も、全部が“正解”のアニメでした。
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一緒に、あの熱狂の夜を、もっと広めていきましょう!
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