月曜夜9時。テレビをつけると、どこかホッとする笑いがそこにある──『しゃべくり007』は、そんな「日常のリズム」に溶け込んだ番組だった。
2008年から続く長寿バラエティとして、多くのゲストの素顔を引き出し、3組の芸人が織りなす“息の合った空気”に、視聴者は笑いと安堵をもらってきた。
そんな番組に、今、「打ち切り」「終了説」という静かな波紋が広がっている。背景には、メディア界の変化や、“大御所”たちをめぐる過去の検証、そして世代交代の兆しがある。
「ん〜、ないと思うんですけどね。単なる僕の、希望っちゃ希望ですけど……」
5月下旬、上田晋也は自宅前でそう語った。帽子を目深にかぶり、ラフな格好で、それでも記者の問いにまっすぐ応えた彼の姿は、ひとつの「区切り」に向き合う人のようにも見えた。
本記事では、週刊女性PRIMEの直撃取材と共に、“しゃべくり007打ち切り説”の真相、テレビ界の構造変化、そして今なお現場で燃える出演者たちの情熱を、多角的に読み解いていく。
『しゃべくり007』放送終了説の真相とは
──都内の閑静な住宅街で、静かに始まった一幕があった。
帽子を深くかぶり、ゆるやかな部屋着にファーのついたサンダル。朝の空気に溶け込むように、上田晋也は静かにゴミ出しをしていた。そこに記者が声をかけると、彼は足を止め、ほんのわずかな間を置いてこう答えた。
「ん〜、ないと思うんですけどね。単なる僕の、希望っちゃ希望ですけど……」
その一言は、“終了説”が現実味を帯びる今、ひとつの意思表明にも、願いにも聞こえた。
2008年7月に始まり、気がつけば17年。月曜の夜9時に、視聴者の笑いと共に寄り添ってきた『しゃべくり007』に、今、何が起きているのか──。
20年目前の節目に囁かれる“打ち切り”の噂
「20年近く続いた番組が、なぜ今?」。そんな疑問が業界内外でささやかれている。
日本テレビ系列で毎週放送されている『しゃべくり007』は、「くりぃむしちゅー・ネプチューン・チュートリアル」の3組が、豪華ゲストを迎えてフリートークを繰り広げるスタイル。固定ファンも多く、視聴率は今なお安定して2ケタ台を維持しているという。
にもかかわらず、2025年春以降、水面下で「新番組の企画募集が始まっている」との証言が報道各所で相次いでいる。背景には、今テレビ業界全体を包む“刷新”の空気がある。
あるキー局関係者は次のように語る。
「日テレは2024年から“長寿番組の見直し”を進めています。『行列のできる相談所』『ズームイン!!サタデー』『ウェークアップ』など、かつての看板が次々と終了。『しゃべくり』も例外ではないという声が、現実味を帯びてきています」
改編の理由は視聴率だけではない。マンネリ化・世代交代・リスクマネジメント──あらゆる観点で「番組の新陳代謝」が求められる今、“終わらせ方”に注目が集まっている。
それは、「終わるから悪い」のではなく、「どう終わるか」に価値が問われる時代になったということなのかもしれない。
上田晋也が語った「希望」と「知らされていない現実」
記者の質問に対し、「僕は聞いてないですね」と、静かに笑みを交えて答えた上田。
この一言には、どこか“当事者でありながら蚊帳の外”というテレビ司会者の宿命がにじんでいた。
「番組を続けるかどうかは、僕らが決めることじゃないですしね」
それは、17年にわたり番組の顔であり続けてきた男の言葉とは思えないほど、控えめで、しかしリアルだった。
テレビ番組は、出演者の意志だけで存続できるものではない。編成判断、広告スポンサー、視聴者層の変化──複数の利害が交錯する中で、“終わりの決断”は常に上層部によって下される。
たとえ本人たちがまだ燃えていたとしても、それが直接「継続」につながるとは限らない。
上田の「希望ですけど……」という言葉の中には、「続けたいけれど、それを言う立場ではない」という思いが込められていたようにも聞こえる。
「現場は何の問題もなくやらせてもらってますよ。みんなテンション高くやってますし」
その語り口には、少しだけ安心も感じられた。
まだ何も決まっていない──それは同時に、何が起きてもおかしくないという不確かさでもある。
ただ、彼の言葉から伝わってきたのは、“終わらせたくない”という強い叫びではなく、続けられるなら静かに続けたい、という祈りにも似た願いだった。
日テレ改編の波と“長寿番組”のリスク管理
『しゃべくり007』だけではない。今、テレビ業界全体が“転換点”を迎えている。
2024年度の改編で、日本テレビは23年間続いた『行列のできる相談所』を終了させた。さらに、情報番組の老舗『ズームイン!!サタデー』『ウェークアップ』も幕を閉じる。
その流れは、単なる視聴率の問題ではない。番組の歴史や実績に関係なく、「変えること」そのものが“正義”とされる空気が、局全体に漂っている。
その背景にあるのが、「長寿番組は、いずれ“足かせ”になる」という経営的判断だ。
放送局にとって番組は“資産”であると同時に、“リスク”でもある。世代交代の波に取り残されれば、若年層の離脱を招き、番組スポンサーの価値も下がる。
加えて、現代のメディア環境はかつてないほど厳しい。SNS拡散リスク、過去発言の炎上、出演者のスキャンダル……番組が長く続けば続くほど、“掘り返される過去”が増えていく。
『行列』『ズムサタ』に続く終了ドミノの背景
番組終了の理由には、構造改革とブランド再構築がある。
たとえば、『行列のできる相談所』は、開始当初は“法律相談”を軸にしながらも、次第にバラエティ色が強まり、視聴者層の分断が起きていた。そこにコアターゲットである13〜49歳層の視聴率低下が加わり、終了が決定された。
『ズムサタ』や『ウェークアップ』も、視聴者の高齢化やインターネット移行に伴う「役割の終焉」が議論されたとされる。
こうした流れの中、『しゃべくり007』は、次なる“更新対象”として俎上に載せられている可能性がある。
その事実は、出演者の意志や人気といった要素とは別次元で、「番組というブランド」をどう再定義するかという、メディア企業としての問いに直結している。
「こんな格好でごめんね」に滲む、上田晋也の誠実さ
その日、彼は藍色の部屋着に黒いキャップ、そしてファーのついたサンダルというラフな装いで、朝の空気の中に現れた。
生活の一部である「ゴミ出し」の途中、突然の取材に足を止め、記者の質問に対して無下にせず、言葉を選びながら応じた上田晋也。
やや戸惑いながらも、彼はこう言った。
「いや~……、ごめんなさい。僕は聞いてないですね」
「それに、番組を続けるかどうかは僕らが決めることじゃないですしね」
「こんな格好でごめんなさいね」
ふだんならスーツ姿でスタジオに立ち、テンポの良い突っ込みで場を回す彼が、この日は“素”のままで立ち止まり、何度も会釈をして言葉を尽くしていた。
現場に問題はない──出演者のテンションと裏腹な噂
記者が「番組の空気は?」と尋ねたとき、上田は少しだけ笑みを浮かべて答えた。
「そりゃあ、みんなテンション高くやっていますよ。現場は何の問題もなくやらせてもらってます」
その語り口からは、番組に対する“愛着”と“責任感”がにじんでいた。
そして何より、現場が“問題なく動いている”ことを伝えることで、関係者やスタッフ、視聴者に対するささやかな安心を届けたかったのかもしれない。
それでも彼は、最後にこう繰り返した。
「こんな格好でごめんなさいね」
その言葉は、決して“服装”だけに向けられたものではなかっただろう。
メディア王と称されることもある彼が、朝の私生活でカメラの前に立たされたこと──それでもなお、誠意をもって応じるという「芸人としての覚悟」が、その一言に宿っていた。
テレビを通して伝えるもの。それは派手な演出や過剰な演技ではなく、時にこうした、ささやかな礼儀や眼差しなのかもしれない。
フジテレビ騒動と“過去の掘り起こし”リスク
『しゃべくり007』終了説の裏には、もう一つの現実がある。
それは、“過去を掘り起こされることへの恐れ”だ。
2024年12月、フジテレビ内部で発覚した不祥事は、テレビ業界全体に重く静かな波紋を広げた。
中居正広問題がもたらした波紋
最初に報じられたのは、中居正広氏にまつわる過去の性暴力疑惑だった。
フジテレビの幹部社員が関与したとされる女性問題に端を発し、第三者委員会の調査が実施される。2025年3月末、その報告書が公表され、「中居氏による性暴力があったと認定」という衝撃的な文言が記された。

この件により、フジテレビは再発防止の改革を進める一方で、テレビ局という組織の“過去の空気”にまでメスが入ることになった。
そしてその影響は、日テレを含む他局へも波及している。
テレビ業界に長く根付いていた“沈黙の合意”──それが崩れ始めた今、大御所・長寿番組という存在は、無言のリスクと向き合わざるを得なくなっている。
石橋貴明の事案と“大御所”という存在の重み
さらに、2025年春。第三者委員会の調査報告において、とんねるずの石橋貴明氏が過去の飲み会でハラスメント行為を行ったとされる事実が明るみに出た。
飲み会で女性社員と2人きりの状況をつくり、下半身を露出したという証言が、文書として記録された。
当時の状況が10年以上前であったこと、そして石橋氏が現在食道がんの治療で活動休止中であることもあり、議論はさらに複雑化している。
けれど、この件が示したのは、「過去であっても、許されない」という時代の空気だ。
『しゃべくり007』も、中堅から大御所へと変化してきた番組である。出演者に問題があったわけではない。それでもなお、「掘り起こされた過去があったらどうするか?」という“備え”の視点は、どの局にも共通している。
番組が愛されてきた年月の長さ──それが今は、無言の“警戒対象”になってしまうという現実がある。
それでも、その中で懸命に現場を守る人々がいる。笑いを届け続けるということが、かつてないほど、繊細なバランスの上に成り立っている。
視聴者が愛してきたものは、何だったのか
月曜の夜9時。
仕事が終わって、晩ごはんを食べながら、ふとテレビをつける。そこには、いつものメンバーが、肩の力を抜いて笑っていた。
「あ、今日はしゃべくりの日か」──それは、番組そのもの以上に、“一週間の区切り”だったのかもしれない。
バラエティが果たす「居場所」としての役割
この番組にあったのは、「笑いを強制しない」やさしさだった。
芸人たちがゲストをいじり倒すこともあれば、そっと話を聞く場面もある。テンポのいい笑いと、ふとした沈黙。そのどちらにも、安心して身を預けられる空気があった。
私たちは知らず知らずのうちに、『しゃべくり007』に“自分を戻す場所”を感じていたのではないだろうか。
「また月曜日が来た。でも、この番組があるから、ちょっとだけ気がラクになる」
テレビ離れが進む今も、なお「なんとなく見ていた」という番組が、人の暮らしの中にどれだけの支えを残しているか。
それは、数字には決して映らない価値だ。
“続くかどうか”よりも、“何を残すか”の問い
番組が終わることは、いつかは必ずやってくる。
けれど、本当に大切なのは、「どれだけ長く続いたか」ではなく、「どんな感情を残したか」だと思う。
『しゃべくり007』が担ってきたのは、“笑い”だけではなかった。
人の話を聞くこと、間を読むこと、言葉で傷つけないこと。
そのすべてを、芸人たちは無意識の技術として織り込んできた。
そんな“無言の教育”のようなものが、この番組にはあったのではないか──。
そして今、終わるかもしれないというこの時期にこそ、私たちは自分に問い直す。
「本当に大切だったのは、番組そのもの?
それとも、その時間を過ごしていた“自分自身”だったのか」
まとめ:しゃべくり007は、どこへ向かうのか
上田晋也が語った「希望っちゃ希望ですけど……」。
それは、続けたいという意志であると同時に、何があってもおかしくない現実への覚悟でもあった。
『しゃべくり007』が終了するかどうかは、まだ正式に決まってはいない。
けれど、その可能性があるとすれば──それは決して“番組が失敗したから”でも、“出演者が問題を起こしたから”でもない。
時代が変わり、テレビが変わった。
その中で、「何を残すか」が問われているだけなのだ。
番組というのは、生き物だ。
生まれ、育ち、変化し、やがて終わる。そして、そのすべてが誰かの記憶の中に生き続ける。
『しゃべくり007』がこれまで届けてきた笑いと、静かなやさしさは、決して無駄にはならない。
続くか、終わるか。
そのどちらであっても、「大切にされてきた」という事実は消えない。
テレビの未来がどこへ向かうのか──。その問いに答えることはできないけれど。
ただひとつ、こう願いたい。
“好きだった番組が、静かに幸せに終われる世界”であってほしい。
この記事のまとめ
- 『しゃべくり007』に浮上した放送終了の噂
- 上田晋也が語った「希望」と当事者としての本音
- 日テレによる長寿番組の大幅改編と影響
- フジ騒動を背景にしたコンプラ強化の流れ
- 視聴者が番組に託してきた“安心”の価値
- 終了の是非よりも「何を残すか」が問われる時代
- 誠意と覚悟が滲んだ“こんな格好でごめんね”の一言
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